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行って参りました、幸村さまのご命日詣り。
本当は九度山も高野山も行くのが恒例ですが、息子が生まれてからは
日帰りにならざるを得ないのが残念です・・・。
早朝の新幹線で、一路大阪。
天王寺の安居天神へ向かいます。
幸村さまの最期の場所と伝わる神社。
亡骸を葬られたお墓が伝わっていないので、私は毎年こちらの石碑に
手を合わせています。
隣に建てられた銅像も、この日は何だかいつもより生き生きと見えます。
手を合わせて祈ることは、いつも同じです。
幸村さまを、真田家を知ってから広がったご縁に感謝し
幸村さまや大坂の陣で散った皆様のご冥福を祈る。
願いは、ただ静かに眠って欲しい、それだけです。
この御命日詣りも2006年から続けているのですが、最初の頃から
見かけていたこのねこさん。
なんと17年もこの神社に居るんだそうです。
もしかしたら、幸村さまの魂を守っているのかも・・・。
安居神社の正面の一心寺さんが作られたシアターで、大坂夏の陣の
史跡を案内してくれる映像を観させて頂きましたが、これがまた面白い!
史跡巡りの前にはオススメです。
シアターを出ると、正面は幸村さまが着陣した茶臼山。
「ツツジの咲いたるような」と評された赤備えのような、ヤマツツジが
史跡を彩っていました。
さて
ゆっくりと史跡も巡りたいところですが、京都へ向かいます。
石庭で有名な、某お寺へ向かいます。
このお寺のある塔頭に、幸村さまとそのご家族の墓所があります。
一部では有名な場所なのですが、お寺側の意向で一般公開はしていないので
あえて私は詳しくは申し上げません。
一度だけ取材で中に入らせて頂きましたが、正室の竹林院さまのお墓と
娘姫さまのご家族と共に、ひっそりと静かなお墓でした。
邪魔をしてはいけない雰囲気だったので、それ以来遠くから手を合わせるだけにしています。
先述のように、亡骸がどこに葬られているかはわかりません。
でもこの場所は何か特別な気がして・・・毎年訪ねているのです。
毎年この時期は、新緑が本当に美しいのです。
ちょうど塔頭の前で手を合わせていたのが、幸村さまが亡くなったと
言われている時間でした。
ここではもう一つ恒例が。
名物の湯豆腐を頂きながら、綺麗なお庭を眺めて幸村さまに思いを馳せるのです。
ゆっくりした時間の中で、じっくり幸村さまのご冥福を祈る。
これが私の大事な時間なのです。
甘い香りの藤に見送られて、402年目の御命日詣りも無事に終了。
安居神社も京都のお寺も、変わらず静かで柔らかい時間が流れていました。
それが幸村さまの魂が安らかな証のようで
私は嬉しくなって、少し泣いてしまうのです。
ゴールデンウィークは、大坂夏の陣である
と、常々思っているのです。
今まで仕事の関係であまり行楽に縁が無かったというのもあって
何より最愛の人・真田幸村さまの大舞台だというのが最大の理由で
この時期はそのばかりを考えています。
そして大坂夏の陣は、幸村さまの最期の戦い
そう、5月7日は幸村さまの旧暦ご命日なのです。
この時期は考えているだけでは屋もたてもたまらず、行動に出てしまいます。
ご命日詣でと自分で呼んでいる、大坂行きです。
2006年にはじめてから、もう12年目になるこのお詣り旅。
昨年からは日帰りになってしまいましたが、もちろん今年も参ります。
402年前のこの日この時、幸村さまは何を思っていたのか
何を思って朝を迎えたのか
毎年今日はそんな事を考えてしまいます。
きっとまた、泣いてしまうな。
2015年5月7日。
今日のこの日は、幸村さまの400年目の御命日。
私が毎年この日に安居天神さまに通い続けて、9回目の御命日。
ついにこの日がやってきました。
もちろん本日、大阪は天王寺の安居天神さまにお詣りしてまいりました。
400年という節目にここにお参り出来るタイミングに
生きていられる事、とても幸せに思っています。
私はよくぞ、今に生きているものだ。
しかしながら私は今までこの日を迎えたら
自分がどうなってしまうのかと思っていました。
2015年5月7日に自分も死んでしまうのではないかと。
それほどに、幸村さまの存在は私にとって大きなもの。
幸村さまの御為に、と言っておきながら、私はとてもとても
かの人に寄りかかった10年あまりを過ごしていました。
そしてその期間がすっかり私という人間を変えてしまっていました。
だから、この節目がきたらガクッと何かを失って
大げさだけれども死んでしまうんじゃないかと思っていたんです。
でも昨年のこの御命日参りから帰ってきて来年の大河が決まった事を知り
ああ2015年では死ねないなと思いました。
でも今度は2016年が終わったら自分がどうなってしまうのだろうと思いはじめて。
そうしたら今年になって、あと20年や30年は死ねない理由が
私のお腹にやってきました。
それで私は、まだまだ幸村さまに逢いに行く前に
やらなければいけないことがあるんだなと思いました。
節目という年をゴールだと思い込んでいたのは私の勝手で
幸村さまはこのあとの100年も400年もそのあともずっと語り継がれていく方。
その、新たなスタートが今日だっただけ。
だから、安居天神さまはの幸村さまはいつもどおりに静かな佇まいでした。
例年より少し大きめのお花を備え
私が幸村さまに頂いてきたご縁の数々に感謝と御礼を伝え
これからも真田の地を見守っていて下さいとお願いして
そして永えの安らかな眠りをお祈りしてきました。
一生に一度の節目のお参りは、こうして済みました。
…そうだなぁ、いつか。
今私のお腹にいるこの人が450年の節目や
この人の子供が500年の節目に、またここに来てくれればいいな。
そうやって、歴史という名のバトンを繋げていけたらいいな。
きっと、100年先にも400年先にも、私のような人間がいることでしょう。