真田家は、謀略家。
謀略家というと、嘘つきのイメージになってしまうらしい。
確かに
『(上田)城を綺麗にしますんで、降伏開城まで三日下さい』
と言っておきながら、三日後に
『戦支度は整った。どうぞ攻めてこい。』
と言ってしまう、2代目昌幸さまのイメージが強いからだろう。
実際、沼田城を取った時なんかも相当なものだけれども、
その後の身の振り方のせいなのか、いわゆる“謀将”と
呼ばれる他の武将よりも、好意的な目で見られていると思う。
あ。
この意見は…相当に私の贔屓目が入っている事を認めておきます…。
で、本題。
そう、“嘘”というものは難しい。
嘘をつかずに生きていく事なんぞ、出来るものではない。
とりあえず私には無理。
特に、自分に嘘はつけないタイプ。
人に嘘はついても、自分に嘘がつけない。なんて我儘なんだ…。
“嘘”にはいくつかの種類があって、“はったり”だったり“ごまかし”だったり
“秘密”だったり…『真実を偽る』事を“嘘”と呼ぶなら、種類は無数。
でも、中には“優しい嘘”も存在する。
真実が鋭利な刃物のような場合、相手のキャパシティに応じてそれも必要。
この“嘘”というものにはこういった多面性があるものの、
まぁ…イメージは良いものではない。 悪しきものとされている。
『嘘つき!』と罵られるシチュエーションとして思い浮かぶのは、
往々にして恋愛においてのシーン。
心変わりをした男性に対して、
『愛してるって言ってたのに…嘘つき!』とか、
デートの予定が仕事でダメになった際に、
『会おうって言ったのに…嘘つき!』とか。
私ですか?私は言った事がありませなんだ。(特に最近は)
何故なら、『愛してる』と言ってくれた言葉や『会おう』と言ってくれた言葉は、
“その時の真実”だと思う事にしているから。
人間、いくらでも状況は変わる。
流れというものを塞き止められなかった自分を責めるべき。
それが嫌なら、自分が努力を怠るな。
と、自分に言い聞かせている。
感情は水のように、液体にも気体にも固体にも姿を変えるもの。
氷だったものが水蒸気になって飛んでいってしまったとて、どうして文句がいえよう。
感情が変わらなければ―私の理論で言えば―歴史は動かない。
進化も退化もない。
そんなの、つまらないではないか―。
でも、ひとつだけ間違ってはいけないのは、起きた変化に対して当の本人が
『しょうがないよな』とか『わかってくれるだろ』とタカをくくってはいけない。
義が無ければ、誠も嘘へと転ずる場合がある。
そう。
“武士の義に欠けたるは、打ちもの(刀)の刃が欠けたるが如く”。
昌幸さまがあまり悪しき様に言われないのは、
最終的に義を重んじていたからかもしれない。
だから…
真田家は、謀略家ではなく、“智略家”と言って欲しい。
(結局、コレ↑が言いたかったのでした/笑)