クリスマスイブの思い出は、子供の頃まで遡る。
物心ついてきた頃、クリスマスという行事はお祭りだという事は
理解していたのだが、子供心に“親からクリスマスプレゼントを貰う”
という事に抵抗があった。
誕生日ならいざ知らず、何故に他人(キリスト)の誕生日に
私が両親からプレゼントを…? と思っていた。
しかし。
イイ子にしていれば、無差別にプレゼントをくれるという
“サンタさん”なるものの存在には大層心を惹かれた。
理由は『他人がくれるなら、両親の懐が痛まない』と思ったから。
…別にそんなに貧しい家庭ではないんですけどね。
自営業だったせいか、経済状況にはやたらに敏感に。
その為か物をねだる事が全く無く、遠慮がちな子供でした。
が、そんな奇特な存在(サンタさん)にならば、ねだってもいいはず!
普段から、たまに突拍子もないイタズラをする他には
いたって大人しく陰気な子供だったのを自覚していたので
自分は“イイ子”だと、ここぞとばかりにサンタさんとやらに期待をしていました。
もちろん、率先したお手伝いも忘れずに。
母に促されるままにサンタさんに欲しいオモチャのリクエストの手紙を書き、
ウキウキと大きめの靴下を物色して準備をし、
記憶にある限りの“初めてのクリスマスイブ”を迎えたのですが…。
クリスマスイブ当日夜。
後に私の性格に多大なる影響を与えたであろう、父の“いぢわる”が勃発。
『お前、そんなに浮かれてるけど、ウチには煙突が無いからサンタさん来ないぞ』
幼い私のショックたるや!
当時マンション住まいだったので、父の言うとおり煙突は無い。
『でも…ちゃんとお手紙に住所書いたし…
(必死に書いたらしい記憶がある)
それに…ウチにはベランダがあるから、そこから来るよ!』
と、珍しく長い反論をすると、私は紙に
“サンタさんへ ここからはいってください”
とたどたどしく書き、それをベランダの窓に貼り出したのでした。
しかし、父のいぢわるは続く。
『カギかけちゃうもんね〜♪』
“絶望”
多分その表現が一番近かったのだろう。
めったに声をあげない私がわあわあと泣き出し、
猛ダッシュでカギを開けに走りよったのでした。
『泥棒が入ったらどーするの?』
と言う父のいぢわるとの攻防の末、いい加減に母の仲裁の下に
カギを開けられた私は、疲れきって寝てしまったのでした。
翌朝の喜びようは、そりゃ尋常ではなかったそうな。
長じてから父にその事を言うと、
『(普段あまり感情の起伏が無い分)面白かったんだよな〜』
だそうです。次の日の喜び方も含めて。
…つまんない子供で、すいませんね…。
その後は、8歳年下の妹をいかに喜ばすかに夢中になり、
思えば後は接客業まっしぐら。いつも仕事です。
そんな私の今年のクリスマスイブは…なんと水曜日!
そう、ナベ商歴史バー!
仕事といえば仕事だけれども、愛してやまない歴史の話が出来るなんて、
私には何よりのプレゼントです。