『築城せよ!』を観にいってきたわけですが。
私、映画の予告が好きなんですが、今日の予告の中に『HACHI』という
映画の予告が…そう、日本人にはおなじみの『忠犬ハチ公』のハリウッド版。
ていうか、何でまたハリウッドで…しかも主演はリチャード・ギアかい!
と、思って流れるままに見ていたら…
あやうく予告で泣くところだった…!!
なんたる不覚だ!
『泣いて下さい、ほ〜らほら』と言わんばかりのお涙頂戴ものは、
さらにそれが動物モノなんて、そのあざとさに嫌悪感すら覚えるほど。
そんな、この私が…!
うう…意地でも涙流しませんでした!
…きっと、これが『ハチ公』だからいけないんだ! と思った。
その理由とは…
―理由その1・生粋の東京人―
東京生まれの東京育ちの六龍堂。
生まれも育ちも目黒品川近辺ということで、よく小さい頃からのお出かけは
祖母に連れられての、バスで向かう渋谷が主でした。
待ち合わせのメッカとなる『ハチ公像』については、なのでだいぶ
小さい頃からその話を聞かされて育っておりました。
幼心に『なんて可愛そうな話なんだ…!』と思ったもの。
おかげで『ハチ公=かわいそう』という図式が出来上がっており、
正直大人になっても泣きそうでハチ公像は直視できません。
なので、私の待ち合わせは基本的にモヤイ像前です。
もちろん、映画『ハチ公物語』も観ていました(母親に観せられた)。
確か、前後不覚になるくらいに泣いた記憶が…
この頃すでに、とある理由でこういったシチュエーションに弱かったのです。
その理由が、その2のお話。今日の本題。
―理由その2・運命のネコ―
私が2歳か3歳くらいの頃。
我が家には、ペルシャネコのシロ(オス)と雑種のきなことあんこ(共にメス)
という3匹の猫たちがおりました。
私が物心ついて記憶もあるので、多分3歳くらいの頃なのかな…
シロとあんこの間に、5匹ばかりの仔猫が生まれたのです。
しかしながらあんこは育児放棄気味のネコで、仔猫たちの世話は
“乳母”となったきなこが一手に引き受けており、仔猫たちの遊び相手は…
早川家唯一の人間の子供である、私でした。
狭いマンションの中を、仔猫5匹と私が一緒になって走り回っていたそう。
私が走れば、仔猫たちも走る。仔猫たちが走れば、私も走る。
私が昼寝していると仔猫たちが添い寝してくるし、仔猫たちが固まって
寝ているところに、私がムリヤリ入って寝ていたりしていたらしい。
こうなると私の両親の育児レベルもネコと同等になってきて…
私がネコなのか、猫たちが人間なのかの境界線がわからない生活でした。
その中でも、特に私と気の合った仔猫がおりました。
名前はグレーテル。オスなので、私の弟といったところ。
雑種のクセにアメリカンショートヘアそっくりな毛並みで、目がくりくりして
耳がぴんと大きな、実に器量良しのネコでした。
ある時、引越しの事情で猫たちを皆里子に出さなければいけなくなりました。
でも、私がダダをこねたのか、両親も彼を気に入っていたのか…
グレーテルだけは早川家に残ることになったのです。
でも、グレーテルにしてみれば、親兄弟がある日忽然と皆が全員
いなくなってしまった事に変わり無い。
しばらくは、いつまでも部屋のあちこちを家族の姿を探してウロウロと
していた姿を覚えています。
そして…皆がいなくなってしまったことを悟った彼は、唯一残った兄弟と
肩を寄せ合って生きていく事を決めたのです。
その唯一の兄弟というのが…、そう、私です。
彼が自分を人間と思っていたのか、私をネコだと思っていたのかは謎ですが
お互いがお互いの“初めての親友”だったことは確か。
家にいる時は、基本的にいつでも一緒。
存分にイタズラもしあったけれども、私がベッドに入ると必ずやってきて
一緒に寝るのがもう当たり前の事だったのです。
しかし、彼にはおかしなクセがありました。
何故か…私の“顔の上”で寝るのです。
私が寝ているのを確認しに母親が寝室を覗くと…
娘の顔の上に丸くなったネコが乗っていて、さながらそれはネコ人間だった…
と未だに母親は言うのです。しかも、顔の上にうまく乗って寝るらしい。
いくらなんでも窒息しそうだと思った母が、彼を別の部屋に連れて行って
部屋の襖をぴたりと閉めていても、彼は器用に襖を開けて、
また私の顔の上で寝ているのだそうです。
寝ている私は…もちろん気が付かない。
そして、不思議と窒息もしなかったのですが…
まったく予想だにしなかった落とし穴が、そこにはありました。
5歳の私は肺結核の疑いを受けたのです。
原因は、両親のヘビースモーキングと…ネコの毛。
そんな寝方なんてしていたものだから、寝ている間に思いっきり彼の毛を
吸い込んでしまっていたらしい。
『肺に影がある』と言われた5歳の私は、毎日体が折れそうなくらいの
咳をしておりました。昔から肉付きが悪かったので…本当に折れん勢い。
両親はぴたりとタバコをやめたものの…グレーテルは相変らず。
どんなに引き離しても、朝には私はネコ人間になっているのです。
弱った両親は、近くに住む友人にグレーテルを引き取ってもらう事にしました。
まだ覚えている別れの図は、私が咳でベッドから起きられないまま
父に抱かれたグレーテルが私のほうに身を乗り出し、身が起こせない私は
半身を起こして手を振り、『バイバイ』って言うのがやっと。
でも…不思議とその時に『これが最後』とは思わなかったのは…
私が子供で状況がわかっていなかったのではなく、子供の直感があったのだろう。
私の体調が治ってきたある日、父と母が私に打ち明けました。
『実は、グレーテルが新しい家で非行に走っているんだ』と。
どうも、昼間はたんすの裏から一歩も出ず、夜になってそっと出ては
餌だけ食べ、あとはまたずっとたんすの裏に閉じこもっているのだそう。
文字どうり、ぐれてしまったらしい。
誰が呼んでも出てこない。母や父が行っても、反応はするけど出てこない。
このままでは、彼の健康が心配だ…という里親の希望で、私がその家に
行ってみることになったのです。
27年前の記憶ですが、本当にこれは鮮明です。
彼が閉じこもっているたんすの裏は真っ暗で、私が頭を突っ込むと
ネコ特有の光る目がふたつ。
『グレーテル、おいで』と、私が声をかけると…それまで鋭かったふたつの光が
急に柔らかくなり、すたすたと近づいてきたのです。
どちらかというとクールな彼が、今まで無いくらいに擦り寄ってきて…
『遅かったじゃないか、さみしかったよ』といわんばかりに私に
甘えて離れなかったのです。
私以外には懐こうとしない彼は、そのまま私と家に帰ることになりました。
しかし…私の病気は治ってはいませんでした。
もちろん、このまま彼と暮らすこは出来ない。
悩んだ両親は、とある男性の友人を頻繁に家に呼び始めました。
人見知りの激しいお坊ちゃんのグレーテルは、何故かその男性を気に入った
様子で、彼がその男性がやってきても全く動じなくなったある日、
グレーテルはその男性に連れられていきました。
流石に、その日は『これが最後なんだ』というのがお互いにわかっていて。
男性の肩に抱かれて去っていく彼は、何度も見送る私を振り返っていました。
私も、男性が去った後もマンションの廊下から、いつまでも離れようとは
しなかった事を―寒い時期だった印象と共に強烈に覚えています。
彼とは、それっきり。
両親は里親の男性と連絡をとっていましたが、私には
『元気に仲良くやってるみたいよ』
としか伝えてはくれず、私は自分の体が弱いことだけが悔しかったっけ。
その後、水泳を始めて今のように頑丈な体になったけれども…
未だにネコという動物は大好きだけれども…
飼うまでに至らないのは、やっぱり彼のことが忘れられないのだろう。
私を待ち続けていた、あの目の光が忘れられないのだろう。
彼はとうにこの世にはいないのだろうけれども、それが私には不思議でしょうがない。
初めての親友が猫だった私には、だから犬と猫の違いがあっても
どうしてもハチ公とグレーテルがかぶってしまう。
いや…
いなくなってしまった彼を待ち続けているのは、多分私のほう。
私のほうが、きっとハチ公なんだろうな。