『幕末龍馬TERAKOYA2』、ご来場の皆様ありがとうございました!!
スタッフの皆様、会場の皆様、お疲れ様でございました!
そして出演者の皆様、本当にありがとうございました!!
楽しかったし、やりきった!という感覚があって、個人的には
ものすごく満足しています。
皆様は、いかがでしたでしょうか?
来れなかった皆様、様子はUSTREAMでどうぞ!
http://www.ustream.tv/recorded/11135011 便利な世の中になりましたな・・・。
さて、私は前回はもっぱら相槌とツッコミ担当だったのですが、
今回は私自身がプレゼンをさせて頂く時間を頂いておりました。
幕末に疎い私が、一体何を語るのかといえば・・・
それはやっぱり、この事しかないわけなのです。
真田氏と、上田のこと。
真田氏で幕末といえば松代の佐久間象山さん。
人物でいえば、幕末で一番好きな人です。
そして、上田で幕末といえば・・・今回私がプレゼンさせて頂いた、
赤松小三郎さん、という人なのです。
幕末にめちゃめちゃ詳しいレキシズルのスナフさんでさえ知らなかった
歴史の影に埋もれてしまっていた、偉人。
無論、私がこの人の事を知っていたハズが無い。
しかし、私は出会ったのです。
初めて『赤松小三郎』の名を目にしたのは、今年の2月。
1月にとある書物で見つけた、上田にある幸村さまの手の入った
と伝わるお寺、月窓寺。
『げっそうじ』と読むのですが、幸村さまが名乗っていたと言われる
『伝心月双』という名と読みも同じ!
書物には興味深い事も諸々書いてあったので、勇んで行ってきたのです!
しかし、お寺には何かが残っているわけではなく、ご住職にお話を
聞いての帰り道にふと目に入ったのが、これでした。
横目で見ながら、
『・・・あかまつこさぶろう・・・ねぇ・・・。
良く分からないけど、そんな人が居たんだね。』
としかその日は思わなかったのです。
そして、春。
お世話になっている柳町の皆さんと立ち話をしている時。
ふいに酒造のご主人に言われたのです。
『そうそう、赤松小三郎の生家はすぐソコなんだよ!』
あ、あの月窓寺にあった看板の人か・・・
そう思って、でも良く知らないのだという旨を伝えてみると
『あの人も面白いよ。良かったら調べてみて。』
と言われてきたのでした。
そして、季節は巡って夏。
またまた上田に来ていた私は、お仕事をご一緒していた
とある幕末に物凄く詳しい薩摩好きの方から
『六龍堂さん!赤松小三郎さんって知ってましたか?!』
と言われたのです。
またすぐにあの月窓寺にあった看板を思い出しましたっけ。
その人の熱弁によると、凄い人らしい。
と、その時はそのくらいしか私には理解できなかったのですが、
『六龍堂さん、この人は凄い。だからあなたが発信してあげて下さい!』
と言われて、なんだか気になってきたのでした。
そして、9月に一回目の『幕末龍馬TERAKOYA』。
なんだかんだ言って、私は幕末をきちんと理解できたのは
間違いなくこの時がきっかけでした。
それで、本気で気になり始めてきたのです、赤松小三郎さんのことが。
そんな折です、上田で『信州上田の偉人講座』が開かれ、
第一回目が赤松小三郎である、という情報を入手したのは。
その時の日記が、コチラ↓
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1590746566&owner_id=15321641 文章もハネてますので分かるのですが、この時に私はどうやら
赤松小三郎という人にすっかり魅せられてしまったのです。
凄い人だ。
どうしてこの人がこんなに知られていないのか。。。
私には幕末の知識が足りないから、そんなことすら分からない。
それが悔しいので、勉強をすることにしたのです。
そんな折、今回の『幕末龍馬TERAKOYA2』の話が持ち上がりました。
そんな折、『歴史街道』に赤松さんのことが載りました。
そんな折、講義をして下さった先生の本を入手しました。
そんな折、上田で資料にたくさん出会えました。
そして、今回のプレゼンの企画となったのです。
スナフさんからも
『これだけの人は世に出さないと!』
と言って頂けたし、何よりも私が観光大使を務める上田の人。
私がさせて頂けるのであれば、これ以上幸せなことはない。
私なりに色々と調べて、納得はまだいってないけれども
なんとかプレゼンできるまでにはなったと思えてきた先々週。
私はまた上田に行く用事があったので、帰りに再び行ってきました。
そう、2月に行った月窓寺へ。
今回は、赤松先生に会いに。
遺髪だけなのですが、上田に帰ってきた赤松先生。
未熟者ですが、先生のことを話します。
先生の事を皆に知ってもらいたいのです。
先生、力をお貸し下さい。見守っていて下さい。
よろしくおねがいします。
長く、手を合わせてきました。
この時、なんとなく、伝わったような気がしたのです。
可愛い家紋。
残っている写真は洋装だから分からなかった。
やっぱり歴史は足で知るものなんだと思った。
今度は、京都に会いに行こう。
ちゃんとご報告しなくては。
そうそう、そうしたら象山先生にも会えるじゃないか。
そんなわけで、拙い知識でしたがプレゼンさせて頂きました。
いかがでしたでしょうか?
少しでも赤松先生のことを知って頂けたら幸いです。
そして、上田はまだまだ面白いと思える人がたくさんいるのです。
日本には、まだまだ面白いと思える人がたくさんいるのです。