『あなたの志は 何ですか?』
先日、突然問われた。
火曜日の ショットバー渡部商店 通商 『ナベ商』 と呼ばれる
バーでの出来事。
そう、ここは水曜日には 『レキシズルバー』 となる場所だ。
先日、私は不在となった火曜日バーテンの代わりを務めていて、
お客さんとなっていた オーナーのレキシズル・スナフ氏が
酩酊しながら そう問うてきたのだ。
彼は、吉田松陰に傾倒している。
読んでいた高杉晋作の小説で、松陰先生が 若き晋作に
こう問うたそうなのだ。
『あなたの志は 何ですか?』
若き晋作は 作中で答えられなかったらしい。
なので、スナフ氏は我ら (私というバーテンと、数人のお客さん)に
問うてきたのだ。
若き晋作の年齢はとうに過ぎ、松陰先生が亡くなった年齢も過ぎた
私には、この問いに対する答えは それなりにある。
『こころざし』 なんて大層な名前では呼んでいないが、
私なりに 動いている行動には理由がある。
行動があれば、結果が伴う。
その結果の集大成が どういった未来を私にもたらすか…
それをシュミレーションすることがある。
結果が 理由と連動するように。
そうでなくては、動くことに 意味が無くなるのだ。
私の場合、は。
『あなたの志は 何ですか?』
そう問われるならば、私の答えは
『良くも悪くも 歴史に名前を残すこと』
と なる。
『良くも悪くも』
それは、後年の人間による評価だ。
行動の評価 というものは、とかく語る人間の都合の良いようになる。
感情を一切排除して、行動のみを伝える事は難しい。
『歴史は感情のリレーのタスキ』 と私は思っていることは、
ずいぶん昔に 語らせて頂いた。
だから、私がやったことが歴史に残るのならば
良いとか悪いとか それは私がコントロールは出来ないのだ。
そこまで考えて 行動は出来まい。
何故なら、私の行動には 理由があってのことだからだ。
良くしようと思ってコントロールしてしまって、
理由がブレるようなことになってしまっては 元も子もない。
そして、私はそんなに器用じゃない。
そりゃ、行動しているからには 『後年にこの思いを残したい』
という野望がある。
そこに対して 奇麗事は言わない。
そして、 『残る』 ということだけで 十二分すぎる結果なのだ。
だから
『あなたの志は 何ですか』
と問われれば
『良くも悪くも 歴史に名を残すことです』
となるのです。
歴史を愛した結果がそれなら、この上ないと思う。
だから、これが私の 『こころざし』 なのでしょう。