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    真田からの贈り物

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      以前、どなたが仰られたのを聞いたことがある。
      「信州上田は、お茶とみかん以外は収穫することが出来る」と。

      そんな上田に不足しているものが名産な土地に住んでいる私ですが
      確かに行く度に色々な信州産のものが店先に並んでいる印象です。
      そして行く度に、何かしらを買って帰っています。

      私のイチオシは、真田にある「ゆきむら夢工房」と「新鮮市 真田」
      ここでは、真田産の野菜などがとてもお手頃価格で買う事が出来ます。
      地元では珍しくない様な農産物でも、旅行者からすると旅ならではの
      出会いだったりする事も多いですよね。
      そんなぶらり旅の醍醐味が、地方の直売所にはあると思うのです。

      さて、そうは言ってもなかなかそこまで行けないという方や
      旅行先で野菜や果物を買って帰るのは大変・・・という方へ朗報が。

      ゆきむら夢工房では、信州名産のりんごをはじめとして
      様々な『真田産』の農産物の通信販売を行っております。
      そして、夏の足音も近くなってきたということで、夏から初秋にかけての
      『真田産くだもの』の申し込み受け付けが始まりました!!

      ブルーベリーは、夏になると真田で摘み取りも出来る名産品。
      夏に上田に伺った際に頂いたのですが、大粒で甘くて本当に美味しい!!

      お申し込みや、詳しいお問い合わせは上記まで。

      毎年りんごは頂いている私なので、今年は白桃を頂こうと目論見中。
      量がありますので、お友達や職場の皆様とのシェアリングがオススメ。

      この夏は、真田のくだもので涼しく過ごしてはいかがでしょう?


      始まりのはじまり

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        私は時代劇の影響を強く受けて歴史に興味を持ったので
        元々は江戸時代が好きでした。
        そこから「真田太平記」によって戦国時代にどっぷり浸かり
        「六龍堂」の名前で活動を始めた際にも、戦国の事だけをやろうと思い
        「戦国プロデューサー」と名乗ろうかと思ったくらい。
        しかし、ゆくゆくは他の時代にも興味が湧くだろうから、とのご指摘を頂き
        現在の「歴史プロデューサー」の名乗りに変わりました。
        ご指摘のとおり、真田家の今昔から源平時代や近代にも興味が広がり
        ああ、あの時「戦国」に自分を型はめしなくて良かったな、と心から
        ご指摘くださった方に感謝しております。

        しかし・・・それでも興味があるといえるのは、古きは奈良時代くらいまで。
        そのくらいならば、主だった人物の名前も言われれば大体はわかりますし
        小説なども読むことがあります。
        だから、まさか、自分にこんなイベントへのお誘いがくるとは・・・!

        7月21日開催
        信毎こどもスクール「縄文の夏祭り」
        にて、司会を務めさせて頂く事となりました。

        「早川さん、縄文時代にはお詳しいですか?」
        そんな風にお電話を頂いた際、正直にお答えするしかありませんでした。
        「・・・いいえ、すみません;」と。

        縄文時代・・・学校の歴史の授業でやりました、はい。
        テストでやったような事ならば、多少は覚えております。
        しかし、正直言わせていただくと専門外!
        それでもお世話になっている方からのご紹介というのもあり
        食わず嫌いというのも良くないかな・・・司会ならなんとかなるかな・・・と
        お引き受けさせて頂きました。
        そもそも私が歴史に惹かれるのは、そこに人間の感情の起伏が見えるから。
        確かに石垣とかも好きですが・・・うーん、すいません、どうにもこうにも
        不安がぬぐえません・・・というか興味が湧きません・・・
        と、思いつつ、担当の方とお打合せさせて頂きました。

        しかし

        担当の方の、そして関わる皆様の思い、そしてこのイベントで
        一番伝えたいというテーマをお聞きして、私は自分の認識がとても
        狭かったことに気付かされました。

        人間は、何年経とうと根本的な「想い」は変わらないのです。
        幕末の人だろうと、戦国の人間だろうと、縄文時代だろうと
        「人が人を想う」そして「親が子を想う」という気持ちは。
        いや「権力」というものがほとんど無かった時代ゆえに
        その「想い」は、この上なく純粋なものだった時代かもしれません。

        詳しくはイベント内容にもなりますのでここでは書けませんが
        参加の子供たちにこの催しを通じて一番伝えたい事、それは
        「人を思いやる気持ち」を持てる人間というものの素晴らしさです。


        ゆくゆくは、子供たちに歴史の楽しさを伝え、探求と守り伝える事の
        バトンを託すようなことがしたいと思ってきてはいましたが
        まさか、その最初が始まりの始まりである縄文時代からスタートするとは。
        お世話になっている長野県に遺跡があり そこに呼んで頂ける事、
        そして、現在住まいのある近くに「登呂遺跡」という私でも知っているくらいの
        有名遺跡があること。

        これも、何かのご縁なのかもしれません。


        泣く理由

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          ここを読んで下さっている皆様の中には、私を初めて見たのが
          泣いている顔だった―という方もいらっしゃるかもしれません。

          今更ですが・・・私は人前で泣く事に物凄い抵抗があるのです。
          なので、滅多に人前で泣かないで生きてきました。
          …そうですね、4年くらい前まで。

          「人前で泣く」ということに抵抗を覚えたのは、多分小学生になる前。
          弱い部分を人前で出してはいけない、と
          もっと言えば、個人的な感情を人前で出す事は恥ずかしい事で
          それによって人を振り回してはいけないのだと、何故か物心ついた時から
          そんな風に考える子供でした。

          小学校一年生の頃、いじめっ子と喧嘩して「泣け」と言われ
          「泣くもんか!」と言いながら泣いてしまった時の事が決定的なトラウマになり
          それから私は「決して人前では泣かない」と誓ってきました。
          加えて私に多大な影響を与えた祖母の教育「人からどう見られるか」の
          一環として「色々な自分の表情を鏡で見てみる」ということを人知れずやった際
          泣き顔というものがあまり綺麗では無いと思い、それを封印してきました。
          あの時は綺麗に泣ける人が、羨ましかったなぁ・・・。
          そんな訳で・・・
          卒業式でも泣かず、悔しいことや悲しい事があれば風呂で一人で泣く、
          という習慣がついた大人になってしまったのです。
          そんな事をしていたせいか、本当の事を人前で話す事が苦手になってしまい、
          本心を話そうとすると自然と涙が出てくる様になってしまいました。
          だから、私が泣いている時に話しているのは、純粋に真実です。
          逆に、泣こうと思っていては泣けません。
          出来れば泣きたくないのですから。

          それが、4年前の某TV番組の収録で・・・
          真田幸村さまのVTRと、彼への熱い想いを語る方のお話を聞いていたら
          今まで自分が守ってきた掟による制止などは全く利かないくらいの
          涙が溢れて溢れて・・・どうしようもなくなってしまいました。
          それまで人前で泣かないようにしてきたのに、とんでもなく多くの方々の目に
          自分の泣き顔を晒してしまった事が、もう本当に恥ずかしくて仕方がなくて
          2度目に同じ番組に出させて頂いた際には、出来るだけ喋らないようにして
          大人しくしていましたっけ。
          3度目には・・・本当に予測しないくらいのスピードで泣きましたけども。。。

          上記のような、かなり衝撃的なリハビリのせいか人前で泣く事には
          昔ほどの抵抗は無くなってきましたが、やはり人前で泣くのは恥ずかしいのです。
          「泣く」という事には相当のパワーを使いますし、その分の感情の乱れがあるので
          何を話していいのか分からなくなるのです。
          講演の際など、それは本当に困ります・・・。
          だから、今でもやっぱり、出来れば人前では泣きたくないんです。

          しかし
          そうは思っていても
          幸村さまや、真田氏のことを話すと涙が自然に出てきます。
          私にとって、想いが強過ぎるのです。
          何の感情なのか、自分にもよく分かりません。
          ただ
          私は人前で泣く事は、今でも極力したくありません。
          しかし
          そうは思っていても
          何かを守ろうと強き思いで精一杯生きてきた先人の事を思うと
          泣かずにはいられないのです。

          プライドで覆い隠せる程の感情であれば、私は人前で泣きません。
          どうしようもない位揺さぶられた感情が真実であるときだけ、私は
          恥も外聞もなく、泣いてしまうのです。


          私の水曜日

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            静岡に来て、一週間とちょっと。

            まだまだ家の中も出来ておらずにバタバタした日々。
            私は適応力には自信があるので、家の中と周辺くらいには
            すっかり慣れてしまったのですが、どうしても慣れないのが水曜日。

            そう、レキシズルバーに行けない事。

            月一回というのは、その間が案外長く感じるのですね。
            先週の水曜日はちょっとソワソワしていて、今日も今日とて
            じっとしていられないような気分です。
            次回は7月4日に出動の予定なので、もうすぐなのですが…
            やっぱり、4年間の習慣って大きいものですね。

            そんな新生レキシズルバーは、今も大きく動いていて
            私もその一端を相変わらず担わせて頂いております。

            そのひとつとして、レキシズルバーの名物「数寄語り」の
            ページの更新が始まりました!
            レキシズルバー 数寄語り
            上記にて、ご案内をUPしております!
            今まで私のブログでしかご案内が出来ていなかった
            レキシズルの様々なイベントが、このページにて見られるようになりました!
            是非、チェックして下さいませ。

            さて・・・今夜の数寄語りはバーテンのけんちゃんが務めます。
            以前も、彼の大好きな秋山好古について語りましたが
            今回は彼の故郷の武将「黒木家永」について語りますよ!
            どうぞお楽しみに^^

            そして、本日より新バーテンもお目見え?!
            今日もレキシズルバーを、私の分までよろしくお願いいたします!


            東京タワーと富士山と

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              引っ越しも終わり、家の中もなんとか片付き、
              やっと落ち着いてきました。
              久し振りの更新となりました。
              そして、私は静岡県民となりました。
              まだ、自分が静岡に住んでいる事も、結婚したことすら
              なんだかどこか他人事のような気分です。

              35年間東京で過ごしてきた私には、『東京=故郷』の図式が
              正直言って、あまりありません。
              品川で生まれ、五反田周辺で育ち、目黒が生活の基盤で
              遊びに行くのは渋谷、新宿、銀座・・・。
              今まで東京を離れた事が無いせいなのか、これらを見ても
              特別ノスタルジックに浸る事も無ければ、懐かしむ事も無い。
              すぐに行ける距離だからか、すぐに行く予定があるからか、
              ネットの普及のおかげで誰とでもコンタクトが取れ、欲しいものが
              すぐに手に入るからないのか・・・
              特に「東京に住めなくて寂しい」とは思えないのです。
              故郷を離れて寂しい、という気持ちがあまり無いのです。
              むしろ、上田に行くのがちょっと遠くなった方が寂しいです。

              しかし
              そんな私にも、ひとつだけノスタルジックに浸れるものが
              東京の地にあった事に気がつきました。

              それは、東京タワー。

              今はスカイツリーに湧く東京ですが、それこそ私の育ったあたりでは
              東京タワーがよく見えたものです。
              中学校の頃、部活の帰りに坂道を下りながら眺められましたっけ。
              今では周辺に高い建物も増え、その道からは見えなくなってしまいましたが。
              夜道にあの姿が見えないというのが、やっぱりなんだか物足りなくて
              そしてやはり今は、少し寂しい気持ちになります。

              代わりに今の環境で見えるようになったもの。
              それは、富士山。
              東京に育った身には、天気が良ければたまさかに遠くに姿を表す富士山は
              一喜一憂の対象でした。
              それが、こんなに大きくすぐそばにあるなんて。

              私にとって、富士山は日本の象徴。
              東京タワーに懐かしさを感じる自分は「ああ、東京人なんだな」と思います。
              でも、この富士山に感じる懐かしさは
              「ああ、私は日本人なんだな」という気持ちなのです。

              この日本一の山には、日本人としての誇りと
              物事を広く大きく見せてくれる力があるようです。


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              六龍堂

              歴史プロデューサー六龍堂
              早川知佐のブログです。

              歴史に関する事柄
              万、軍師承ります
              mail@rokuryudo.jp

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