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    かくも贅沢なるや、別所の出て湯

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      私は上田で初めて行った場所が別所温泉だったせいか
      彼の地には特に思い入れが強くあります。
      そして、その別所温泉に行くきっかけになったのが
      私が真田好きになったきっかけ「真田太平記」。
      序盤には頻繁に出てくるこの地に、どうしても行きたくて
      友人と一緒に行ったのが、今に至るはじめの一歩でした。

      「真田太平記」の登場人物・向井佐平次が
      『いで湯(温泉)とは・・・まことに贅沢きわまるものだ』
      と感嘆するあのシーンの、そのお湯を堪能してみたかったのです。

      今ではこんなパンフレットも出来ています。

      色々な情報が満載で、とてもお役立ちな一冊です!


      まぁそういったわけで、別所温泉は上田の中でも私には特別な場所。
      もうかれこれ6年くらい、誕生日は別所で過ごしています。
      今年も、その予定です。

      その予定を立てているところに、何度かお世話になったお宿
      「旅の宿 南條」さんからお手紙が届きました。

      なんと、手書きで作られたチラシが・・・!
      もう、これを見たらグッと心を掴まれてしまいました(笑)。
      細部まで心がこもったおもてなしをして下さるし、お料理も美味しい。
      私は誕生日に利用させて頂いているのですが、花束や歌のプレゼントといった
      お祝いをして下さったのが、忘れられません。
      HPに掲載されている各種プランにも、その細やかさが見て取れます。
      おすすめのお宿です^^

      そうは言っても、一人では泊りづらい・・・という方へ。
      (私は一人で泊りますが・・・)
      温泉宿では珍しい、一人旅歓迎のお宿があります。
      「上松屋」さんです。
      こちらも本当に細やかで親身になって下さるお宿!
      一度友人に紹介してその旨をお宿にお伝えしたら、とてもとても細かい
      ご案内をしてくれたと、友人から大絶賛のメールをもらったほどです。

      南條さんはご家族、上松屋さんはお友達同士にお勧めかもしれません。
      今年の千本桜まつりや真田まつりに、いかがですか?


      人は

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        以前にも書いたことがあると思いますが、私が好きな
        佐久間象山先生の残した言葉の中で最も好きなものがこれです。

        「余、年二十以後、すなわち匹夫にして一国に繋ることあるを知る。
        三十以後、すなわち天下に繋ることあるを知る。四十以後、
        すなわち五世界に繋ることあるを知る。」

        あの幕末の時代に、この言葉を残せるのもすごいなと
        単純に思うところでもあるのですが、この言葉はよくよく考えれば考えるほど
        とてもとても深いのです。
        それを教えてくれたのが、以前にもご紹介したこの本。

        象山先生は実にお母さん想いな逸話が数々残っているのですが
        その事からもわかるように、この方を構成している要因の大きくは
        ご家族の影響が強いのだと私は思うのです。

        この本に書いてあった、渋沢栄一さんの言葉がまた素晴らしいのです。

        「個人が家庭をつくり、家族が一群、一町をつくる。
         そしてこの一群、一町がやがて国家を形成する。
         そうなると、家庭は小さな政府である。この自覚がなければ
         とても理想的な国家は形成されない。」

        作家・童門冬二さんは続けます。
        これは、「地方自治の真義」であると。
        地方自治の最初の石垣が個人であり、その個人が集まって形成する
        家庭ということで、その家庭を「小さな政府」と呼ぶのは、いわば人間における
        「自己完結性」を述べていて、これは「人間の自治」になる。

        そして私の考え。
        私は軍師という活動をしています。
        そして一人の女性であり、妻であり、社会人です。
        どの「私」に対しても、やる限りは上を目指したいと思っています。
        ただ「何かをやりたい」と欲する前に「人としてちゃんとしている」
        ことを心がけなくてはいけない、と強く思っています。
        「ちゃんとする」とはどういうことか、それは「己を知る」ことであり
        「己を律する」ことであり「己を導く」ことである、と私は解釈しています。
        なぜなら、渋沢さんの言葉を借りれば「人=国」だから。

        そして、これらを「己=人」に置き換えてみて下さい。
        家庭を持ったりした際、「己」に出来ていなくて、どうして「人」にそれが出来ましょう。
        これが出来ずに、象山先生のあの言葉に行き着くことは
        まず無いと私は考えます。
        象山先生は、自分に厳しいゆえに人に厳しかったのでしょう。
        それは、その「日本人としての魂」を、後に引き継がなくてはいけないと
        思ったからではないでしょうか。
        日本という自分の故郷が素晴らしい国であり続けるために必要なことは
        まず「人がちゃんとしている」ことだということを、誰よりも知っていたのだと
        私は、そんな風に感じてしまうのです。

        これらのこと、古くはこの言葉に集約されるのでしょう。
        「人は城、人は石垣、人は堀」


        【再度告知】会津れきしQ&A TERAKOYA!!

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          先日も告知させて頂きましたが、詳細がハッキリしましたので
          再度本番の告知です!

          大河ドラマ「八重の桜」の『?』を解消するイベント
          会津れきしQ&A TERAKOYA
          木戸銭:1,500円(特別価格、ワンドリンク付)
          @レキシズルスペース

          歴史ビギナーでもおもしろいTERAKOYA、第4弾!
          大河ドラマ「八重の桜」がスタートし、好評を得ています。
          そんな中、ドラマを観て会津のことで
          「?」があったりしませんか?

          フツーに聞いたら恥ずかしいかな?
          こんなこと聞いたらバカにされそう・・・

          大丈夫!レキシズルはそんなあなたの味方です。
          些細なこと、なんでも聞いて下さい。

          イベントコンセプトは、「小難しいイメージのある歴史を柔らかく考えてみる」。
          レキシズルのユーザーさんはじめ、そんなに詳しくないひとたちからも
          素朴なQを投げてもらい、レキシズルがおもしろおかしく答えるというもの。
          だから「歴史」ではなく、「れきし」と表記した、“軽み”イベントです。

          Qを募集してます。2/6(水)まで受け付けてますので、
          レキシズル・渡部のtwitter(#rekiBarをつけて
          フツーにツイートしてもOK)、
          Facebookにレスorメール下さるか、
          inforeki@rekisizzle.comまで送って下さい。
          または直接レキシズルバーで書いて頂いてもOKです。

          ■場所
          東京都千代田区神田駿河台3-3 イヴビル3F
          (株)渡部商店オフィスの中にあります。
          地図:http://www.nabesho.net/gaiyou/map.html

          ※レキシズルスペースは、畳敷きです。日本文化を体感できるよう、
          足袋を推奨しています。オリジナルポップ足袋購入できます。
          足袋の持ち込みも可です。
          ストッキングを履いてる方などのために、足袋なしスペースもありますが
          ぜひ足袋を履いてその心地よさを感じて下さい。

          れきしQ&A TERAKOYA3の映像は
          http://www.ustream.tv/recorded/26773664


          いただきます!〜番外編其のニ〜

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            食にまつわるこのシリーズ、お久し振りです。
            お久し振りついでに、またまた番外編ですがご容赦下さいませ。
            (食材ではない場合が番外編となります)

            さて、今日は愛用の食器をご紹介します。

            マグカップがふたつと、湯呑、そしてぐい呑み。
            そうです、言わずと知れた六連銭グッズたちなのです。

            順にご紹介します。

            こちらは、頂き物。
            上田の呉服店「ゆたかや」さんで扱っている品です。
            六連銭もさることながら、上田紬を彷彿とさせる優しい色合いがお気に入り。
            マグカップと書きましたが、大きめサイズなので私はもっぱら
            スープカップとして使っております。

            そして、ぐい呑み。

            これは、滋賀県の焼き物(なんという焼き物かを失念・・・すいません・・・)で
            戦国グッズとして作られていたもの。こちらも頂き物です。
            なめらかな肌触りで、飲み口に工夫がしてあって口当たりが良く
            ついつい飲みすぎてしまう逸品です。
            六連銭入のぐい呑は他にも色々持っていたのですが
            現在家で使っているのはこちら。
            一番使い勝手がイイのです。


            最後はこちら。
            静岡に来てからフル活動の湯呑。
            こちらは、自分で購入しました。
            確か・・・初めて上田に行くようになった頃に駅のお土産物屋さんで
            購入したと記憶しています。
            この独特の青い色合いの焼き物は「松代焼」。
            手になじむ大きさと厚みで、一日たりとも手放せません!

            ぐい呑み以外は上田で購入できるものなので、おすすめですよ!


            優しさと、意志の固さと

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              本日の大河ドラマも面白かったですね・・・!
              幕末物では「悪」の立場で描かれることの多い大老・井伊直弼さんが
              確固たる信念のもとに条約の調印や安政の大獄に踏み切っている
              部分が描かれていて、とても良かったと思います!
              幕末とは、「開国」「攘夷」、「佐幕」「倒幕」という相反する思いをが
              ぶつかりあった時代です。
              未来の私たちから見たら、取るべき道がわかっているので何とでも言えましょう。
              しかし、当時を生きた人たちは各々が己が信じたものを命懸けで貫き通して
              力いっぱい走り抜けていったのだと、私は思っています。
              だから、今回のような描かれ方はとても好ましいなと感じたのです。
              これからも楽しみですね。

              さてこの井伊直弼さんが大老に就任した影に、ある方の動きがありました。
              老中にして上田藩主の、松平忠優さんです。
              ペリー来航や将軍継嗣の問題など、未曾有の危機に幕府が接した際に
              中枢にて幕府を動かしていた一人が、上田の藩主だったのです。
              しかも、忠優さんは一貫して開国派。
              一度は老中を退いたものの、日米修好条約の推進に必要な人物であるということで
              再度老中に就任します。
              その際に、「忠優」というお名前から「忠固」というお名前に改名されたのです。
              「忠」に「固」く。
              幕府のため、日本のためという意志が、この改名から伝わってくるようです。

              井伊さんばかりが表立って言われることが多い「勅命を待たなかった条約締結」ですが
              忠固さんは、実は「勅命を待たなかった」ことへの責任を追って
              老中を罷免されているのです。
              それが、安政五年。
              蟄居を命じられて上田に戻り、安政六年に48歳で亡くなっています。
              ・・・病死ということになっていますが、どうでしょう・・・?
              私にはなんだか、タイミングが良すぎるように思えてしまうのです。

              ちなみに、赤松小三郎先生は忠固さんの家臣。
              赤松先生を江戸へ遊学させたのも、開国派で先見性のあった忠固さんらしいです。
              開国と同時に日本の主力輸出品であった生糸の輸出を始めたのも忠固さんでした。
              先の見える方だったのだと思います。

              更に、この方の思いは、自分の名を「忠優」から「忠固」へ改名したこと
              子供に「忠(に)礼(を)」と「忠(に)厚(く)」と名をつけたこと
              ここに一番表れているのではないかと、私はそんな風に思うのです。


              うーん、この方も大河に出て欲しかった。
              「篤姫」の時は、出ていらしたんですよね。

              上田の誇りのお殿様だと思います。


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              六龍堂

              歴史プロデューサー六龍堂
              早川知佐のブログです。

              歴史に関する事柄
              万、軍師承ります
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